大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和52年(う)417号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人飯塚弘提出の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第二点(憲法違反の主張)について。

所論は、要するに、売春防止法五条三号前段は、その構成要件が不明確であるから、憲法三一条に違反する、というのである。確かに、売春防止法五条三号前段は「(売春をする目的で)公衆の目にふれるような方法で客待ちをする」ことを構成要件とするから、公衆の目にふれるような方法で客待ちをするというのは、いかなる行為を指すのかについて疑義を生ずる余地もあるが、同条の他の号及び一条(同法の目的)、四条(同法適用上の注意)等を総合して考察するならば、後に説示するとおり、右文言につき良識に合致し、且つ、客観性を保ち得る解釈も十分可能であると認められるから、右同号前段は、未だ構成要件が不明確であるとは断じ難く、論旨は理由がない。

その余の控訴趣意(第一点事実誤認の主張及び第三点法令の解釈・適用の誤り)の判断に先き立ち、職権をもつて案ずるに、原判決は、原判示の路上を被告人がうろつき、あるいは立ちどまるなどしていた時間を一二月一九日午後一時二九分頃から同日午後一一時四二分頃までの間と認定、摘示したが、右事実は、原判決が証拠として挙示する証人大久保芳の供述記載、被告人の供述及び供述調書のいずれからも認めることができず、かえつて、右大久保の供述記載によれば、前記の時間は同日午後一一時二九分頃から同日午後一一時四二分頃までの間であることが肯認できるから、原判決の認定した事実と証拠との間にはくいちがいがあるというべきである。(公訴事実に「午後一一時二九分から」とあるので、誤記の疑いもあるが、判文上は明らかでない。)しかして、被告人がどれほどの時間路上でうろつき、あるいは立ち止つていたかは、その行為が売春防止法五条三号前段の「公衆の目にふれるような方法で客待ちをする」ことに該当するか否かを判断するうえで重要であるから、右のくいちがいは刑訴法三七八条に所謂理由のくいちがいに当たることが明らかである。

そこで、控訴趣意第一点(事実誤認の主張)及び第三点(法令解釈・適用の誤り)に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三七八条四号により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに次のとおり判決する。

原審で取調べた各証拠(原判決挙示の前掲各証拠を含む。)を総合勘案すれば、被告人は、昭和五〇年一二月一九日夜、売春をする目的で国鉄山手線鶯谷駅前の旅館街に赴いたこと、そして被告人は、同日午後八時頃から右旅館街の路上を行つたり来たりしてふらふら歩いていたが、同日午後一一時二九分頃から同日午後一一時四二分頃までの間、右旅館街原判示の路上を、スラツクスをはき、手提袋を持つた格好で、時々うしろをふりむき、あるいは立ちどまつてきよろきよろしながら、ゆつくり歩行し、約三五〇メートルばかり移動したところで、再び立ちどまつてその辺をうろついたのち、もとの方向に少しばかり戻つたところ、被告人を同日午後一一時二九分頃から引き続き尾行していた警視庁保安第一課風紀二係所属の警察官大久保芳と視線が合い、同日午後一一時四二分頃、同人に売春防止法の客待ち現行犯で逮捕されたこと、その間、被告人は、五、六人の男性と行き交つたが、自分から声をかけたことはなく、ただ同人らの顔をきようきよう眺めたり、同人らが通りすぎてからふり返つていたこと、逮捕後の捜査段階において、被告人は、当時、売春の目的で相手方から声をかけられるのを待ちながら客待ちしていたことを認めたことの諸事実が窺われる。

ところで、売春防止法は、売春を禁止しているけれども、売春行為そのものを処罰することはせず、「売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものであることにかんがみ、売春を助長する行為等を処罰する」(一条)に止めていること、「この法律の適用にあたつては、国民の権利を不当に侵害しないように留意しなければならない。」(四条)と定めていること、五条の一、二号がいずれも一般公衆に対し売春の目的があることを明らかにする挙動であつて、外形的に、社会の善良の風俗をみだすに足りる行為を処罰していることに徴すれば、同条三号前段にいう「公衆の目にふれるような方法で客待ち」をするとは、単に売春の目的で公共の場所等をうろつき、あるいは立ち止まり、相手方の誘いを待つだけでなく、外形上、売春の目的のあることが、その服装、客待ち行為の場所・時刻等と相まち、一般公衆に明らかとなるような挙動を伴う客待ち行為をいうものと解するのが相当である。けだし、内心では売春の目的を有する者が相手方の誘いを待つて公共の場所等をうろつき、あるいは立ち止まるなどしていたとしても、右のような売春の目的が明らかとなる挙動のない限り、それは、外形上、単なる待ち合わせや人探しの行為と何ら選ぶところがなく、未だ社会の善良の風俗をみだすものとは認められないからである。もし、このような行為をも同条三号前段にあたるとするならば、売春以外の目的で、外形上同様の行為に出た女子が取締官により容易に誤認逮捕される等不測の人権侵害を受けるおそれがあり、前記四条の法意にも反する結果をもたらすであろう。

これを本件についてみると、被告人は、当時売春の目的で客待ちしていたとはいえ、その服装及び右行為の場所、時刻等を併わせて考慮しても、前示認定の事実における被告人の行為の程度では、外形上、未だ売春の目的があることを一般公衆に明らかにするような挙動を伴う客待ち行為とは認めがたいから、売春防止法五条三号前段所定の客待ちに当たらない、といわざるを得ない。

その他客待ちを認めるに足りる証拠はない。

よつて、本件公訴事実(客待ちの時間の始期を一二月一九日午後一一時二九分頃と訂正するほかは原判示の事実とほぼ同一である。)は、犯罪の証明がないことに帰するから、刑訴法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をすることとして、主文のとおり判決する。

(草野隆一 鬼塚賢太郎 油田弘佑)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例